僕が勇者だった話

 

小学生の頃住んでいたのは、バスが1時間に数本しか来ない田舎だった。

当時まだ携帯電話やら腕時計やらを持つ小学生は少なく、バス停近くにある古びた車屋の時計を見てバスが来るまでの時間を確認していた。

思い返すと、僕はあの頃からのんびりしていたんだろう。バスが来るまでの時間はボーッとしたり、車のナンバープレートを見て数字の語呂合わせをしたりしていた。ある時、目の前でバスが行ってしまったのをぼんやりと確認した僕は「歩いてみよう」と思い立った。

 

子どもの足で片道1時間程の道中は、覚えたナンバープレートの車が銀行強盗犯の乗った車で、警察に事情を聞かれたらどう答えようかのシュミレーションや、巨人が現れたらどのルートで逃げようかそれとも友だちになろうかなど、そういったことを考えていたような気がする。至極真剣にだ。

 

まっすぐ1本道、車道と歩道がしっかりと分かれ、歩道もそれなりの広さが確保されていた。

 

ガシャンカポッ ガシャンカポッ

後ろから音を立ててやってくるのは馬だ。そう、馬。horse。見なくても分かる。小学生の僕にとってすぐ真横を通る馬はとてつもなく大きくて、かっこよくて、いつもドキドキした。でもあからさまに驚いたりジロジロ見るのは失礼だと余計な心配をしていた僕はあえて振り返ったり馬の方を見たりせず、いつも見るのは手綱を引くおじさんの後ろ姿と左右に揺れる馬の尻尾だった。

 

少し歩くと途中に藪がある。

薄暗く、ほっそりとした竹が何本も生えていたそこは、何か不思議な生き物がいてもおかしくない雰囲気だった。いつ何が出ても大丈夫なように、僕はそこを通るとき少しだけ息を潜めて緊張しながら歩いた。

ある日、横目に何か動くものが見えたのと同時に「ガサッ」と音がした。

でた!!!!!!!!!!!!!!

心拍が速くなるのを感じ、反射的に両手をグッと握りしめた。

そいつは僕が歩く横をピッタリついてくる。歩くスピードを速めてもついてくるそいつに、喉が熱くなり視界がぼやける。どうしようもなくなって、僕は歩くのをやめた。

ヒュ〜ッという風とともにそいつは僕の横を通り過ぎた。

「葉っぱ、、、」

あの時のため息は、十数年後に大学の入試に受かったときまで出たことのない種類のため息だったと思う。

 

そんなこんなで、まもなく家に着く、というところ。ここが僕にとっての最終局面だ。

そこはなんの工事か分からないが、とにかく工事現場だった。

いつも通り空想したり、馬を後ろから見たり、葉っぱに踊らされながら帰っていた僕の耳に犬の鳴き声が飛び込んできた。恐怖で正式な数を確認したことはないが恐らく3頭ほどの犬が工事現場からこちらに向かって吠えている。しかも尋常じゃない吠え方だ。それどころではない。犬の声がだんだん近づいてくるではないか。

運動が得意ではない僕なりに、地域の子どもマラソンでビリという成績を持つ僕なりに、一生懸命走った。

3歳上の兄と僕の中で、あの犬のいる工事現場が家までの道で一番危険だということを話し、あそこを通る時だけは走ることに集中した。

幸い、犬が直接危害を加えてきたことはなかった。兄が襲われたという、うっすらとした記憶があるが恐らく僕の空想だろう。

 

僕はそんな勇者の道を何回も往復して小学校6年間を過ごした。

大人になった今、毎日仕事に行くし、もう子どもの時のように空想ばかりしていられないことにも気付いてしまった。警察に銀行強盗犯が乗る車について聞かれたこともないし、巨人も今のところは現れていない。犬は怖かったし不意に動く葉っぱにもぶつけようのない怒りが湧いたけど、僕は勇者だった。まぎれもない勇者だった。

 

余計な心配はせず、おじさんに馬の話を聞いていたら、もっとすごい勇者になれていたかもしれない。

 

 

今日はそんな幼少期の話でした。

元勇者は明日も仕事に行きます。

 

 

まだ雨が続いている。自宅にて。